オーボイスト宮本文昭の軌跡
Biography of a great oboist Fumiaki Miyamoto.
少年時代の宮本文昭!
1949年、東京・青山に生まれる。
父親は藤原歌劇団のテーノール歌手(宮本正)、母親は中学校の音楽教師をしていた。
1956年、東京都港区立青山小学校に入学。
少年時代はアメリカン・ポップスやFENを聴いて過ごす。
中学1年。「第九」に感動! 音楽に目覚め、オーボエを始める?
1962年、青山中学校に入学。
中学1年(13歳)のとき父親がN饗と共演(日比谷公会堂)した「第九」を聴いて鳥肌がたつほど感動!
クラシックをやる決心をし、オーボエを始める。
《オーボエを選んだのは、他の楽器を消去していったら最後に残ったのがオーボエだったから。だからオーボエが好きで始めたわけではない》宮本談
1965年 桐朋学園高等学校音楽科に入学。
1968年 桐朋学園高等学校音楽科を卒業時「音楽賞」を受賞。
音楽家としての旅立ち! ドイツへ!師との出会い!

ヴィンシャーマン先生
と宮本文昭
1986年7月、旧西ドイツに留学(18歳)、横浜港からナホトカ経由、シベリア鉄道でドイツに向かう。
デットモルト市の北西ドイツ音楽アカデミーに入学。
オーボエの名手ヘルム−ト・ヴィンシャーマン氏に師事。
《ヴィンシャーマン先生のレッスンで印象に残った言葉……
むずかしいものをむずかしく人に聴かせてはいけない。何を演奏しても、詩があるような演奏をしなさい。そして、演奏の本番中に立って聴かされたのが一番印象深かった》宮本談
ドイツ時代、第一期。 挫折から、再起へ!

オーボエとの時間(とき)
1972年デットモルト音楽アカデミーを主席にて卒業。
日本に帰国、オーボエを吹くことから離れ、失意の日々を過ごす。
(詳しくは、「オーボエとの時間(とき)」を読んでみてください。)

デビューリサイタル
1974年2度目の西ドイツ、オーボエ留学。
デビューのオーボエリサイタルを東京文化会館小ホールで開く。
斎藤秀雄先生をご招待。チケットは完売。
ミュンヘンを拠点にオーボエ修行はつづく……。
世界のオーボイストへ!
1975年、旧西ドイツ・エッセン市立交響楽団首席オーボエ奏者に就任。

エッセン市立交響楽団
首席オーボエ奏者 宮本文昭
文化庁芸術祭優秀賞受賞(レコード部門「平尾貴四男・室内楽選集」)。
ビクター音楽産業より初めてのアルバム『オーボエの至芸』をリリースする。
1977年、フランクフルト放送交響楽団首席オーボエ奏者に就任。

フランクフルト室内楽の練習風景
この間インバル、ノイマンを初めとする多くの第一級指揮者と次々共演し、その実力を広く認められていく。
1981年カメラータ・トウキョウよりアルバム「宮本文昭オーボエリサイタル」をリリースする。
1982年ケルン放送交響楽団首席オーボエ奏者に就任。

ベルティーニ指揮協奏曲を吹く宮本

ドリーミング
・ストリーム
篠崎史子(ハープ)とクライスラーやフォ−レの名曲によるアルバム『ドリーミング・ストリーム』をリリース。ソニー・クラシカル(当時CBSソニー)より。
可能性を求めて!

Jazzy Wind
オーボエの新たな可能性を求めて、クラシックとジャズの境界を飛び越える。
日本のトップ・アレンジャー前田憲男の編曲、ピアノによるジャム・セッションで『Jazzy Wind』を発売、アメリカ、ヨーロッパでも『Blue Rondo』のタイトルで発売し大好評を博す。
《即興の多いジャズの世界からクラシックの世界に戻って演奏を始めると、前よりも楽譜を離れてみることができるようになりました。音符と音符の間に隠されたものが、よくわかるようになってきたんですね》宮本談
ドイツと日本!

ロマネスク
1985年この頃から日本とドイツを行ったり来たりしながら、ソリストとして日本での地位を固めていく。
前田憲男との2ndアルバム「ロマネスク」をリリース。
世界の宮本へ、ソリストとして!

モーツァルト:
オーボエ協奏曲集
2月、ロンドンのアビーロード・スタジオで
イギリス室内管弦楽団とアルバム「モーツァルト:オーボエ協奏曲集」、
及び「フルート協奏曲のオーボエ版」(世界初演)をレコーディング。
1986年にリリースし、絶賛を博す。

アビーロード・
スタジオにて

ロンドンブリッジ
を背景に!
1986年10月10日、サントリーホール・オープニング・ガラコンサートに出演する。
1987年1月、サントリーホール・オープニング・リサイタルシリーズに出演。
このコンサートではクラシック、ジャズ、そして三枝成彰による委嘱作品のジャンルを越えたアーティスト達と共演し、ミュージシャンとしての多彩ぶりを披露するとともにオーボエの新しい可能性をひらく。
9月、小澤征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラのヨーロッパ初公演に参加する。
ブラームス:交響曲第一番を演奏。
ソリスト、新境地へ!

鳥の歌〜オーボエは、
古代の天地に遊ぶ
1988年、アルバム「鳥の歌〜オーボエは、古代の天地に遊ぶ」をリリース。
不思議な色合いを持つ作品として話題になる。
《「このアルバムは、宮本氏の卓越したリアライゼイションによって、編曲者が当初思い描いていたものをはるかに上回り、何か新しい地平すら見えそうな仕上がりになった」》編曲者:佐藤より
1989年、ザルツブルグ音楽祭にハイドン「シンフォニア・コンチェルタンテ」のソリストとして出演。
5月「TOWAフェスティバルコンサート」ガラ・コンサートに出演し、東京と大阪で公演する。東京のコンサートの模様は、テレビ東京で放映された。
6月、カザルスホールにて、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第一番「雨の歌」をオーボエで世界初演をする。
CMデビュー!
10月より、JTピース・インターナショナルのCMイメージキャラクターとして登場し、そのCM曲「メディティション」の幻想的な楽曲と共に一躍お茶の間の注目をあびる。

ニペンシィ
多重録音を試みたアルバム「ニペンシィ」をリリース。
10月、ブリュッセルでベルギー・ヨーロッパ・ジャパンに木管五重奏の「WOODS」で参加し、細川俊夫の木管五重奏の新作を初演する。
時の人!

蒼の薫り
6月、社団法人メンズファッション協会主催による第19回ベストドレッサー賞受賞(学術・文化部門)。
この年の「話題の人!」となる。
アルバム「蒼の薫り」を発売。
洗練されたアダルトなサウンドでベスト・セールスを記録する。
1991年 ガリー・バルティーニ指揮ケルン放送交響楽団と来日し、マーラー交響曲全曲演奏会を行う。
異分野コラボレーション!
6月、「宮本文昭とドイツの仲間たち」で、木管八重奏と噺家の林家こぶ平、桂小米朝とのジョイント・コンサートを自らプロデュースする。
レコード大賞ですぞ!
12月、アルバム「ニペンシィ」「ブルー・ヴォイス」「蒼の薫り」の一連の音楽活動に対して、日本レコード大賞企画賞を受賞する。
いろいろやっても、宮本はクラシックの音楽家です!

ミラノの午后
1992年10月、イタリアのミラノで、ミラノスカラ座弦楽合奏団とイタリアン・バロック・コンチェルトアルバム「ミラノの午后」をリリース。
10月度のクラシック・チャートで1位を獲得する。
 宮本、ミラノにて。
何でも出来る!音楽家。コラボレーションの真髄!

ソウル・ブルー
1993年7月、10枚目のアルバム「ソウル・ブルー」全曲をオリジナル曲のポップス・アルバムとして、自らのプロデュースで発売する。
8月、渋谷BEAMホールにて宮本文昭プロデュース・コンサートを行う。
インドネシア音楽のガムラン、アメリカやブラジルのジャズ、フュージョン系ミュージシャンと共演するなど多彩な才能を発揮する。
ドイツの仲間達と!

夢のあとに〜宮本文昭
ベストアルバム
10月、アルバム「夢のあとに〜宮本文昭ベストアルバム」をリリース。
11月、ケルン室内管弦楽団と全国10ヶ所でイタリアン・バロック・コンチェルトのツアーを行い大成功をおさめる。
山下洋輔氏、渡辺香津美氏らジャズ・アーティストと!
1994年8月、横浜美術館にて山下洋輔氏(ピアノ)、渡辺香津美氏(ギター)とのセッションを組み、全曲オリジナル曲を披露する。
再び、ドイツの仲間達と!
1995年5〜6月「宮本文昭とドイツの仲間たち」で木管八重奏を再演し、ビゼーの「カルメン組曲」ではフラメンコ舞踊と共演し好評を博す。

シネマ・アモーレ
9月、映画音楽のアルバム「シネマ・アモーレ」を発売。
新たな道への助走!
1996年 ケルン放送交響楽団を1年間休む。
「ドイツでは、リフレッシュ休暇があるのです!」宮本談
4月、アメリカにてセントポール室内管弦楽団と共演し、高い評価を受ける。
5〜6月日本で同楽団とコンサート・ツアーを行う。

イタリア

フランス
11月、アルバム「オーボエ・ヴィルトゥオーゾ〜イタリア・エディション」、
12月、アルバム「オーボエ・ヴィルトゥオーゾ〜フランス・エディション」を続けてリリース。
ドイツと日本・・・!

ジャポネスク
1997年7月、ソニー・クラシカルより和楽器とのセッションアルバム「ジャポネスク」リリース。
ケルン放送交響楽団の日本ツアーに参加する。
トヨタ エスティマのCM曲「風と少年とタマゴ」をリリース。
ケルン放送交響楽団を辞任、日本へ!

J.シュトラウス:
オーボエ協奏曲ニ長調
1999年8月、ソニー・クラシカルより小澤征爾指揮&水戸室内管弦楽団と共演「J.シュトラウス:オーボエ協奏曲ニ長調」をリリース。

あすか
9月、19年在籍したケルン放送交響楽団を惜しまれて辞任し、本拠地を日本に移す。
10月より、NHK連続テレビ小説「あすか」のテーマ曲「風笛」(大島ミチル作曲)を担当し話題を集める。
アルバム「あすかオリジナル・サウンドトラック」をリリース。
教えること、伝えることを。

オマージュ・オ・ブルー

宮本文昭
ヒーリング・ベスト
2000年2月、アルバム「オマージュ・オ・ブルー」
「宮本文昭ヒーリング・ベスト」をリリース。
新プロジェクトとして始まった小澤征爾オペラ塾に参加し、
後進の指導に積極的に取り組む。
4月より東京音楽大学オーボエ専攻科教授に就任する。
エンジン全開!
2001年5月、LiveImageのコンサート・ツアーに参加し、加古 隆やフランスの人気グループ「ディープ/フォレスト」の主要メンバーであるエリック・ムーケと共演するなど、全国3万人以上の観客を魅了した。
6月ベルリン木管八重奏団と共演しツアーを行う。

Air〜アリア
9月にはアルバム「Air〜アリア」をリリース。その内容は、ディープフォレストのエリック・ムーケプロデュースによるオリジナル曲「Magic in the Air」をはじめ、エキセントリック・オペラで活躍する作曲家の書上奈朋子をフューチャーし、オーボエの多重録音を駆使したサウンドに挑戦するなど、新しい境地を開拓している。
この年よりJTホールプランナーを努める。
2002年JTホールのプロデュースコンサートではギタリスト達と集中的にコラボレートし、福田進一、村治佳織、鈴木大介、渡辺香津美、鳥山雄司等のアーティストと次々と3回のシリーズで共演する。
TBS系テレビ「世界ウルルン滞在記」番組中のエンディングテーマ曲「夢〜featuring」(手使海ユトロ作曲)を担当した。
キングレコードより「オーボイッシモ!/オーボエの祭典〜スーパー・オーボエ・ライブ」をリリース。
2003年ヴェネツィア合奏団と日本ツアーを行う。
12月、NHKテレビ放送50周年記念ドラマ「川、いつか海へ」(岩代太郎作曲)のテーマ曲に参加し、CDも発売された。
初めての指揮!
2004年JTホールの室内楽コンサートで初めて指揮をする。
メンデルスゾーン第4番「イタリア」を選んだ。
アテネ・オリンピックでの日本のテーマ曲「夢が力」に参加するなど、話題を集めた。
2005年 4〜5月、ライブ・イマージュ エッセンシャルの全国ツアーに参加する。
6月はドレスデン歌劇場室内楽団とも東京オペラシティ等で共演する。
9月、サイトウ・キネン・オーケストラのレギュラーメンバーを引退する。
THANKS!

THANKS!
2006年 映画「明日の記憶」(大島ミチル作曲)メインテーマ曲を担当。
4月、ラスト・コンセプトアルバムとなる「THANKS!」をリリース。
5月、サントリーホールにて東京都交響楽団とアルビノーニ、モーツァルトのオーボエ協奏曲で共演し、ベートーヴェン:交響曲第4番を指揮する。
8月、サイトウ・キネン・フェスティバル松本で、サイトウ・キネン・オーケストラとモーツァルトオーボエ協奏曲を共演し、ベートーヴェン:交響曲第7番を指揮する。
10月、東京芸術劇場大ホールにて東京都交響楽団とR.シュトラウス:オーボエ協奏曲で共演し、ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」を指揮する。
プレイステーション2用ソフト「聖剣伝説4」(スクウェアエニックス)がエンディングテーマ曲「DAWN OF MANA」を坂本龍一のピアノとのデュエットで演奏し発売される。

ファイナル・オーケストラ
スペシャル・ライヴ
オーボエ協奏曲集

Fumiaki Miyamoto
2007年2月、メモリアル・ベストアルバム「Fumiaki Miyamoto」、そして最後のクラシックアルバムにして初のライブアルバム「ファイナル・オーケストラスペシャル・ライブ:オーボエ協奏曲集」を2枚同時リリース。
ラストコンサート!
2007年3月28・29日、ファイナルコンサート東京文化会館大ホール。
ファイナルコンサートは超満員の会場で、40年間のオーボエ奏者の人生の幕をひいた。チケットにプレミアもつき伝説のコンサートとなった。
歓喜と涙のファイナルコンサートの模様は、DVD「最後の瞬間を永遠に。
宮本文昭 ファイナル・コンサート
070328(2007年)」をご覧下さい!

オーボエ奏者として
最後のサインをする
宮本!
3月31日、最後の最後ラストコンサート トッパンホール。
40年以上に及ぶオーボエ人生にピリオドを打つ。
宮本の良き理解者でもあり、師と仰ぐ小澤征爾氏も花束を持って駆けつけてくださいました。
ありがとうございました。
2007年3月31日は、「男の美学」を貫き男の花道を完結させた記念の日となった。
2004年にオーボエ奏者としての活動にピリオドを打つと決めてからの3年間はまさに怒濤の連続。1年に80公演を行い、協奏曲、室内楽曲、ソロ・リサイタル、プロデュースコンサートとやれることをすべてやりつくした。
辞めるのではない!新しい道への第一歩だ!
2008年4月1日、宮本文昭は音楽家として、新しい世界を目差し新たな挑戦をスタートさせた!


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